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阪神・淡路大震災から30年 振り返って思うこと

「今日は願書を出しに行く日だから、一時間だけ寝て学校へ…」

理学療法士の国家試験を控え、なんだかんだと追い立てられるように勉強をしていた時期でした。

それまでずっと特に頑張るとか、必死になるとかいうこともなく、なんとなくたのしそうなほうへ、なんとなく良さそうな方へと流れてきたと思います。

鍼灸師の資格では安定した就職が難しいと言われ、それならもう少し学生生活を続けようと思って入った理学療法科

…しんどいなぁ、しんどいばかりの月日でした。

それでも、なんとか実習を終えて、国家試験の受験資格をもらって勉強中。

1月17日は学校に集まって書類の不備なとがないか確認してから出願しに行くことになっていました。

これまでの中で、一番たくさん勉強しているという自覚がありました。

夜の方が捗る気がして、夜中に過去問を解いていて、ふと時計を見ると5時40分を過ぎたところ。

外はまだ真っ暗で、部屋はひんやりと冷え切っていました。

私はもぞもぞと布団に潜り込み、目を閉じて眠ろうと…

ゴゴゴごゴゴゴ

なんとも言えない凄い音が聞こえてきました。

地響きというか、唸りというか、よくわからないけれどもとても怖い音。

驚きすぎて動けずにいると、家がわっさゆっさと揺れはびめました。

…地震?

ベッドの周りに積み上げていた資料や教科書が崩れて産卵

部屋干ししていた洗濯物は竿ごとふり飛ばされ

愛用のこたつは玄関先まで歩いて行ってしまいました。

揺れがおさまってすぐに実家に、電話。母が出て、「なんや怖い❗」と二人で言い合い、お互い大丈夫そうだったので通話を切り、次にどこかに電話をかけようとしても、もう、電話が繋がりませんでした。

テレビのニュースでは、真っ暗な中にポツポツと火の手があがる状況が映し出されていて、これが本当に今の状況なのかと、信じられない気持ちでぼんやりと眺めることしかできませんでした。

私は大阪市内に住んでいるので、地震当時はこの程度で済んだのですが、ニュースではどんどんと神戸の被災地域の現状が報道され、まるで別世界のことのようにしか感じられなかったことを今も覚えています。

当日は電車が動かなかったり、近くの古いお家が壊れていたりと、地震の規模の大きさを感じさせられましたが、夕方のテレビ大阪では、6時からのアニメ番組がいつも通りに放映されていたので、なんとなく大丈夫そうに思っていました。

その後、私の生活には大きな変化はありませんでしたが。西宮から西側には行けない日々が続きました。

阪神電車が復旧して、初めて三宮駅に降りた時、道路のあちこちが割れたり窪んだりしている様子に、改めてあの地震の恐ろしさを痛感しました。

電車が動き始めてからの復興はすごく速くて、神戸の皆さんの力強さを感じました。

私はこの年に就職し、社会人になりました。

仕事を始めると、嫌なことや面倒なことばかりが目立って、つい投げ出してしまいたくなります。

そんな私も、毎年、この1月17日を迎えると、あの日とそれからの日々を思い出して、「頑張らなあかんな❗」と気合をいれ直してきました。

この30年で街は大きく変わり、どんどんと進化していると思います。

私は…?

当時、のんきで気まぐれな20代だった私は、未だにのんきで気まぐれな50代。

この街に生きています。

改めて

これからとこれまでを大切にしていきたいとおもいます。

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